大判例

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東京地方裁判所 昭和44年(合わ)122号 判決

主文

一  被告人を死刑に処する。

二  押印してあるジヤツクナイフ一丁(押収品目は登山用ナイフ、昭和四四年押第一四五七号の2)、米国貨幣九枚(同押号の75)を被害者ジユリアン・カンラバン・タンボアンに、押収してある白布袋一枚(同押号の38)を所有者〓山光機に、押収してある腕時計一個(同押号の37)、時計バンド二本(同押号の39)を被害者伊藤正昭の相続人に、それぞれ還付する。

理由

(被告人の経歴及び本件各犯行に至る経緯)

被告人は、昭和二四年六月、北海道網走市呼人番外地で、りんご園人夫をしていた父の四男として生まれたが、当時、姉三人、兄三人の大家族であつたうえ、父が賭博にふけり家庭を顧みなかつたので、母の行商などでようやく家計が維持される状況であつた。ところが、昭和二七年に妹が生まれたことなども加わつて、一家の生活はますます困窮し、父母の仲も悪くなり、昭和二九年一〇月ころ、母は、次女、四女及び孫一人を連れ、昭和一五年生まれの三女、同一七年生まれの次男、同二〇年生まれの三男及び被告人を残して、青森県北津軽郡板柳町に移住した。その後、父も家出してしまつたため、残された被告人らは、兄らの新聞配達による収入等で辛うじて生活を維持していたが、翌昭和三〇年五月に市役所の世話で青森県下の母のもとに移り住み、同所で、生活保護を受けながら、魚の行商をしていた母の手一つで育てられた。なお、父は、家出後、行方不明であつたが、被告人が中学一年の昭和三七年一二月に岐阜県下で死亡した。

被告人は、昭和三一年四月板柳町の小学校に入学したが、第三学年ころから学校へ行くことを嫌つて欠席が多くなり、第五学年ではほぼ通常に出席したものの、第六学年では再び欠席日数が増大した。しかし、母は行商をして生活を維持するのに追われ、被告人らの教育面まで関心を向ける余裕はなかつた。被告人は、昭和三七年四月板柳町の中学校に入学したのちも欠席の傾向は改まらないのみか、ますます増え、第三学年の昭和三九年五月ころには担任教諭がこれを注意したのに反抗して福島まで家出したこともあつた。

被告人は、昭和四〇年三月中学校を卒業後いわゆる集団就職をすることとなつて上京し、東京都渋谷区内の西村フルーツパーラーの店員として働くようになつたが、同年九月下旬ころ、外国貨物船で横浜港から香港に密出国したため、出入国管理令違反等の罪により検挙され、その後は右西村フルーツパーラーを退職し、長兄に引き取られて、同人の住んでいた栃木県宇都宮市内の自動車板金工場で見習工として働き出した。しかし、被告人は、同年一一月上旬窃盗未遂事件を犯して検挙され、同月下旬宇都宮家庭裁判所で不処分の決定を受け、その後、無断で長兄のもとを離れ、大阪府守口市内で米穀商の店員を、東京都内で喫茶店のボーイなどをして稼働していたが、昭和四一年九月上旬在日米海軍横須賀基地に侵入し、刑事特別法違反、住居侵入、窃盗、同未遂の罪で検挙されるに至つた。被告人は、右事件により、同年一〇月中旬、横浜家庭裁判所横須賀支部で、試験観察処分を受け、川崎市内のクリーニング店に補導委託されたが、翌四二年一月中旬店主と衝突してここをとび出し、その直後に東京都新宿区内の牛乳販売店に住込店員として就職し、同年四月からは明治大学付属中野高校(定時制)に入学して勉学していたところ、同年四月下旬横浜家庭裁判所横須賀支部で前記昭和四〇年九月の出入国管理令違反等保護事件及び昭和四一年九月の刑事特別法違反、窃盗等保護事件につき、東京保護観察所の保護観察に付する旨の決定を受けた。しかし、被告人は、自己中心的で保護観察には極めて拒否的な態度を示し、保護措置による指導教育は軌道にのらない状況下で、昭和四二年六月末ころ前記牛乳店をやめると同時に高校も中途退学し、その後は、横浜市内で沖仲仕を、東京都内で牛乳販売店の店員などをしていたが、昭和四三年一月上旬、神戸港に停泊の外国船に乗船し、再び密出国しようとして検挙され、同年二月中旬東京家庭裁判所で、保護観察中であることを理由に不処分の決定を受けた。その後、被告人は、東京都杉並区内の牛乳販売店に住み込んで働き、同年四月からは前記定時制高校に再び入学するなど更生の意欲を示したものの、長続きせず、同年五月右販売店をやめるとともに高校も退学し、一旦、青森県下の母のもとに戻つて、同地の高校に入学しようとしたが果たさず、再び上京し、横浜市内で沖仲仕などをし、夜は喫茶店や映画館などで眠るという生活を送つているうちに、当時自衛隊入隊の第一次の学科試験は合格したものの、最終的に不合格となつたことなどもあつて、自暴自棄となり、金員にも窮して、後記罪となるべき事実第一のとおり在日米海軍横須賀基地に盗みに入り、拳銃及びその実包等を入手したことから、右窃取にかかる拳銃を使用して後記罪となるべき事実第二以下の各犯行に及ぶに至つたものである。

(罪となるべき事実)

被告人は、

第一  前にも盗みに入つたことのある在日米海軍横須賀基地で金品を窃取しようと企て、昭和四三年一〇月初めころ、神奈川県横須賀市在日米海軍横須賀基地Jストリート四三番三二三ハウスの米国海軍一等兵曹マニエル・S・タンボアン方において、同人の妻であるジユリアン・カンラバン・タンボアンの所有又は管理にかかる二二口径小型拳銃一丁(レームRG一〇型No.七四四五九七、昭和四四年押第一四五七号の3)、同拳銃の実包五〇発くらい(押収品目は拳銃実弾、同押号の5はその一部)、米国製ジヤツクナイフ一丁(押収品目は登山用ナイフ、同押号の2)、八ミリ撮影機一台、ハンカチ二枚(同押号の1はそのうちの一枚)、米国貨幣十数枚(同押号の75はその一部)を窃取した

第二  前記第一の犯行で窃取した拳銃と実包を神奈川県横浜市内桜木町駅前のガレージ裏に隠しておいたが、昭和四三年一〇月九日朝、これを持ち出して、東京都の池袋へ遊びに行き、映画館の便所内で拳銃の弾倉六か所のうち一発目は暴発を避けるために実包をこめず、残りの弾倉全部に実包五発をこめて、これをジヤンパーの左内ポケツトに入れ、その夜は映画館で明かしたが、翌一〇日の夕方まで同都内の池袋、新宿、渋谷などで遊んで時間を過ごしたのち、同日午後九時すぎ同都港区所在の東京タワーへ赴き、同所のベンチで休んでいるうちに寝込み、夜中に目を覚した際、近くに東京プリンスホテルの灯が見えたところから同所へ行つてみる気になり、翌一一日午前零時すぎころ、同都港区芝公園三号地の東京プリンスホテルのプールの入口から敷地内に至り、同ホテル本館南側芝生付近を徘徊中、同日午前零時五〇分すぎころ、折柄巡回のため同所に来合わせた綜合警備保障株式会社派遣警備員中村公紀(当時二七年)に見咎められてどこへ行くのか質問され、被告人において「向うへ行きたい。」旨答えたところ、右中村から、「向うへは行けない。一寸来い。」と申し向けられたうえ、ジヤンパーの襟首をつかまれたため、被告人は、その手を振り払おうとして前のめりになつて転ぶや、右中村に捕まれば、前記拳銃所持の事実を発見され、さらには、前記第一の犯行も発覚するのをおそれ、とつさに同人を所携の拳銃で狙撃して逃走しようと考え、そのため同人が死んでも構わないとの気持で、芝生の上に尻もちをついて坐つた姿勢で、いきなり右拳銃の銃口を一ないし二メートルの距離にいた同人の顔面に向けて、二回狙撃し、弾丸二発を同人の顔面等に命中させて、同人の左上頬骨弓部に盲貫射創を、左側頸部に貫通射創をそれぞれ負わせ、同日午前一一時五分ころ、同区西新橋三丁目一九番一八号東京慈恵会医科大学付属病院において、同人を前記盲貫射創による脳挫傷及びくも膜下腔出血などに基づく外傷性脳機能障害により死亡するに至らせて殺害した

第三  前記第二の犯罪を犯したため逮捕される危険を感じ、まだ訪れたことのない京都を観るためにも同地へ逃亡することとし、実包六発をこめた前記拳銃を持つて昭和四三年一〇月一三日朝京都市に至り、市内見物をしたり映画を観たりして遊んだのち、同夜同市内を徘徊するうち、同市東山区〓園町北側六二五番地の八坂神社山門前に出たので、同神社の境内で野宿しようと考え、山門から境内に入り、拝殿と本殿との間の石畳の上に至つた翌一四日午前一時三五分ころ、折柄同神社境内を巡回していた同神社警備員勝見留治郎(当時六九年)に発見され、「ぼん、どこへ行くのや。」と声をかけられ、「あつちの方へ行く。」旨本殿の向う側を指したところ、同人から、「向うには何もない。おかしいやないか。」等と怪しまれるや、前記第一の犯行で窃取した所携のジヤツクナイフ一丁を取り出して同人に突きつけながら、「近ずくと刺すぞ。」などと脅して逃走を図つたが、同人がこれにひるまず警察への同行を強く求めたため、前記第一及び第二の各犯行の発覚をおそれ、とつさに同人を射殺して逃走しようと決意し、隠し持つていた前記拳銃を取り出して、いきなり同人の顔面、頭部を四回狙撃し、弾丸四発を同人の頭部、顔面に命中させて、同人の右前頭後部に貫通射創を、左側頭部・左側頬部・右下顎部に各盲貫射創をそれぞれ負わせ、同日午前五時三分ころ、同市東山区大和大路通正面下る大和大路二丁目五四三番地大和病院において、同人を前記左側頭部の盲貫射創による左側頭葉挫滅、大脳等のくも膜下出血、脳挫傷により死亡させて殺害した

第四  前記第二及び第三の各犯行により既に二人を殺害するに至つたため気持が落着かず、生まれ故郷の北海道網走で自殺しようと考え、その旅費の工面をするため、昭和四三年一〇月一九日、東京都池袋に住む次兄を訪ねた際、同人から金を必要とする理由を追及されたため、やむなく、同人に対し、前記拳銃を見せて、前記各犯行を打ち明け、北海道で自殺する決意を告げたところ、同人から警察に自首するよう勧められたが、これを断わり、旅費として八〇〇〇円くらいもらい受け、前記拳銃及び実包を持つて、上野駅から列車で青森へ行き、同月二一日の朝連絡船で函館に渡り、自殺する前に札幌市内を見物しておこうと考えて、同日及び翌二二日の両日にわたつて札幌の市内見物をしているうち、次第に自殺する気持が薄らぎ、東京へ帰ることにし、同月二六日夜函館市内に到着したが、所持金も殆んど費消して残りわずかとなつたので、所携の前記拳銃でタクシーの運転手を射殺して金を奪おうと決意し、国鉄函館駅の便所内で右拳銃に実包六発をこめた後、同日午後一〇時五〇分すぎころ、同駅前付近路上で、折柄同所を通りかかつた帝産函館タクシー株式会社運転手斉藤哲彦(当時三一年)の運転するタクシー(普通乗用自動車トヨペツトコロナ函5あ一八―二〇)に乗車して、七飯へ行くよう指示し、犯行に適する場所を求めて北海道亀田郡七飯町字大川一六四番地の秋田吉五郎方前路上まで右タクシーを走行させて、同日午後一一時一三分ころ、同所で停車させ、隠し持つていた右拳銃を取り出して、いきなり同車の後部座席から運転席にいた右斉藤哲彦の頭部、顔面を続けて二回狙撃し、弾丸二発を同人に命中させ、同人の鼻根部に貫通射創を、右眼瞼左端部に盲貫射創をそれぞれ負わせてその反抗を抑圧し、同人が所持していた売上金たる現金約七〇〇〇円並びに現金二〇〇円くらい在中の小銭入れがま口一個を強取し、翌二七日午前八時一五分ころ、函館市弥生町二番三三号市立函館病院において、同人を前記盲貫射創による右硬膜下出血により死亡させて殺害した

第五  前記第四の犯行後、函館から横浜に帰り、一週間くらい沖仲仕の仕事をしていたが、逮捕の危険を感じたため名古屋へ行つて働くこととし、昭和四三年一一月二日、それまで人目につかないよう横浜市内の空地に埋めて隠しておいた前記拳銃を取り出して実包六発をこめてこれを持ち、名古屋へ向かい、翌三日朝名古屋駅に至り、同日及び翌四日は市内見物や映画を観るなどして時間を過ごしたのち、同日の夜遅く、翌朝の沖仲仕の仕事をみつけるため、名古屋市中川区内路上を名古屋港方向へ歩いていた同月五日午前一時二〇分ころ、八千代タクシー株式会社運転手伊藤正昭(当時二二年)の運転するタクシー(普通乗用自動車トヨペツトコロナ名古屋5く二七―五三)が近ずいてきて、右伊藤から、「どこへ行くの。」と声をかけられ、「港へ行く。」旨答えると、同人がタクシーのドアを開けたので、これに乗車したところ、走行中の同車内において、同人から、「港へ何をしに行く。今行つても何もないよ。」と言われ、「港で働く。」旨答えたが、さらに、同人から「あんた、東京の人でしよう。今晩どうする。」と言われるや、とつさに、自己を東京の人間と知つている以上そのままにしておけば、前記各犯行に及んだ自己の足どり等が、右運転手を通じて警察に判明して逮捕される結果に立ち至るかもしれないと考えるとともに、当時既に所持金が二〇〇〇円余りしかなかつたため、右運転手を拳銃で射殺し金を奪つて逃げようと決意し、犯行に適する場所を求めて、名古屋市港区七番町一丁目一番地株式会社竹中工務店名古屋製作所南側路上まで同運転手に右タクシーを走行させて、同所に停車させ、同日午前一時二五分ころ、同車内において、隠し持つていた前記拳銃を取り出して、いきなり同人の頭部等を四回狙撃し、弾丸四発を同人に命中させ、同人の右側頭部・後頭部・左前額部・左側頭部に各盲貫射創を負わせてその反抗を抑圧し、同人が所持していた売上金等の現金七〇〇〇円余り在中の布袋一枚(前同押号の38)及び同人所有の金メツキ鎖バンド付セイコー金色側腕時計一個(同押号の37、39)を強取し、同日午前六時二〇分ころ、同市港区港明町一丁目三一番地中部労災病院において、同人を前記盲貫射創によるくも膜下出血及び脳挫傷により死亡させて殺害した

第六  前記第五の犯行後、捜査の追及を免れるため、横浜に立ち戻り、前記拳銃を土中に埋め、同市桜木町で沖仲仕などをしていたものの、やがて昭和四三年一一月末上京して、東京都中野区若宮町二丁目四番九号の幸荘に住み、同都新宿区内の深夜喫茶店でボーイとして働いていたが、昭和四四年三月末ころ、前記拳銃を掘り出して右アパートに持ち帰つていたところ、同年四月七日午前一時四〇分ころ、実包六発をこめた右拳銃の他に、ドライバー、皮手袋も持つて、同都渋谷区千駄ケ谷三丁目七番一〇号の一橋スクール・オブ・ビジネスに至り、その事務室内において、窃盗の目的で金品を物色中、警報装置により同所にかけつけた日本警備保障株式会社東京支社警備員中谷利美(当時二二年)に発見され、逮捕されそうになるや、逮捕されれば前記各犯行が発覚することになるのをおそれ、とつさに同人を射殺して逮捕を免れようと決意し、右スクール建物の玄関ホールにおいて、隠し持つていた右拳銃で同人を二回狙撃したが、同人に命中しなかつたため、同人を殺害するに至らなかつた

第七  法定の除外事由がないのに、昭和四四年四月七日午前五時八分ころ、東京都渋谷区代々木一丁目一番地先明治神宮北参道において、前記二二口径小型拳銃一丁(前同押号の3)及び火薬類である前記拳銃用実包一七発(押収品目は拳銃実弾、同押号の5)を所持した

ものである。

(証拠の標目)(省略)

(公訴棄却の申立及びこれに対する当裁判所の判断)

辞任前の弁護人鈴木淳二、同早坂八郎、同中北龍太郎は、判示第六の事実(原宿事件)につき、刑事訴訟法三三八条四号に基づき、公訴棄却の申立をした。その理由は必ずしも明白でないが、要旨は概ね次の通りである。

すなわち、警察当局は、判示第二の東京プリンスホテル事件及び同第三の京都事件の各発生後、両事件を同一犯人による事件であるとして「広域重要事件一〇八号」と指定し、判示第五の名古屋事件の直後ころには被告人をその犯人として特定できていたのに、当時の大学闘争を中心とした社会・政治情勢の緊迫化の中で全国の治安体制の維持をはかり、或いは少年法改悪を推進する目的で、被告人を尾行し、行動を監視しつつこれを泳がせ、そのために被告人が昭和四三年一一月中旬ころ静岡市内において自転車窃盗、学校・事務所での侵入窃盗、現住建造物放火、銀行員に対する拳銃使用事件(いわゆる静岡事件)を犯したのに、被告人を逮捕しないでこれを放置し、遂には判示第六の原宿事件をも犯すに至らしめたものである。従つて、右静岡事件に対する警察の対応は刑法一〇三条に該当して違法であるのに、その責任を追及せずにその後犯した原宿事件について被告人のみの責任を追及するのは不平等であつて憲法一四条に違反し、また、原宿事件は、右のような経緯で発生するに至つたものであるから、その捜査手続は、憲法一三条、三一条に違反するものであつて、右のような平等原則に反しかつ捜査手続に違法のある原宿事件についての公訴提起は、違法かつ無効なものと解すべきである。

このように、被告人が右一〇八号事件の犯人として警察に尾行され、監視されていたことは、

(1)  東京プリンスホテル事件及び京都事件の発生により共同捜査体制がとられ、捜査が強化されていつたが、名古屋事件の発生後は捜査指揮が警察庁に移り、各事件の現場における遺留物及び京都事件の被害者の言葉から、犯人像を「外国人と交際があるか、外国生活をした家庭の一七、八才の少年」とか「基地荒し前歴者」と特定し、一七、八才の少年を対象とした具体的捜査が進行し、昭和四三年一一月一三日、判示第四の函館事件の犯人が右一〇八号事件と同一犯人であると断定されてからは、全国的厳戒捜査体制が敷かれ、同月一六日から一七日にかけて異例な全国一斉捜査が行なわれたが、静岡事件は、このような厳戒捜査体制が敷かれた時期に行なわれ、しかも、静岡事件発生前に静岡県警の池谷刑事部長は犯人が静岡に現われることを断言していたこと。

(2)  警察は、被告人の各犯行現場での遺留物、指紋等から、犯人を基地に関係ある者とみて基地荒しの前歴者のリストを作つたのであるが、被告人は、本件前に基地侵入を含む逮捕歴が数回あつたのであるから、指紋を照合することによつて、早い時期に容易に、被告人を犯人と特定しえたはずであること。

(3)  函館事件当時、函館中央署特捜本部長が、「一〇月二七日から一一月五日までの青函連絡船の乗船者名簿、函館空港発の航空機の乗客など約九万人のうち女子供を除く二〇歳前後の男について徹底的に洗う。」と述べていたが、被告人は、青函連絡船の乗船者名簿に偽名を使つて氏名を記載したものの、青森県の実家の付近の住所を書いたので、右乗船者名簿からも被告人を犯人として特定しえたはずであること。

(4)  被告人は、判示第一の事件で拳銃等を盗んで米軍基地から出た朝、三笠公園の芝生で寝ていたが、そこへ二人の私服刑事と思われる者が来て、奥の方へ歩いていつたこと。

(5)  京都事件後に夜行列車で東京に帰るとき、刑事と思われる二人が、寝ていた被告人の眼の前の席で、「ピストル」とか「人殺し」などと大きな声で話をし、被告人が起きると黙り、被告人が小田原駅の少し手前の駅で降車すると、右二人もすぐ降りたこと。

(6)  被告人が静岡事件当時、同市内の映画館で、映画「戦場にかける橋」を観たとき、休けい時間に便所へ行くと、クリーム色系のハンチング帽のような帽子をかぶり、同系色のコートを着た刑事(三〇歳くらい)と思われる男がずつと跡をつけ、被告人が廊下の長椅子に坐つていると、一〇メートルくらい離れたところから被告人をじつと見ていたこと。

(7)  静岡事件後、被告人が、夕方横浜市内のゴーゴースナツクへ行つたとき、静岡事件で窃取した学生証を見せてその場は一時的に逃れることができたけれども、店員に通報されたのか、二人の刑事が来たこと。

(8)  名古屋事件後、東京都新宿区内のビレツジバンガードに勤めていたとき、「市」と呼ばれていた人物が、被告人に、「四人殺しのナガさん」と何度も言つたこと。

等の諸事実に徴し明らかである、というのである。

そこで、右主張について判断するに、前掲各証拠のほか、(証拠省略)を総合して検討しても、弁護人が主張するように、警察官が被告人を尾行した事実は認められず、警察当局は、本件各犯行を「広域重要事件一〇八号」と指定して全国的規模の捜査を行なうなど鋭意犯人の発見に力を尽したにもかかわらず、本件被告人の逮捕に至るまで、右一〇八号事件の犯人は全く判明せず、従つて被告人が右犯人であると特定することができなかつたものと認められるから、警察当局が被告人を犯人であることを知りつつ逮捕せず泳がせておいたことを前提とする前記弁護人らの公訴棄却の申立は、理由がなく、採用できない。

(弁護人の心神喪失又は心神耗弱の主張及びこれに対する当裁判所の判断)

一  弁護人は、被告人が、本件各犯行当時、精神病に近い精神状態にあつて、心神喪失又は心神耗弱の状態にあつたと主張する。その理由の要旨はつぎのとおりである。

本件各犯行時における被告人の責任能力についての精神鑑定として、鑑定人新井尚賢作成の鑑定書(以下「新井鑑定書」という。)及び第二三回公判調書中の同人の供述部分(以下「新井証言」といい、上記鑑定書と証言を「新井鑑定」という。)並びに鑑定人石川義博作成の鑑定書(以下「石川鑑定書」という。)及び同人の当公判廷における供述(以下「石川証言」といい、上記鑑定書と証言を「石川鑑定」という。)がある。

まず、右新井鑑定書の鑑定主文は、

「被告人の本件犯行時の精神状態には狭義の精神病と思われる所見はないが、情意面の偏りはある程度認められる。」

というものであり、症状としては、精神病質中の分裂病質であつて、事物の弁別能力又は右弁別に従つて行動する能力は正常であるというのである。

これに対し、石川鑑定書の鑑定主文は、

「一 被告人は、犯行前までに高度の性格の偏りと神経症徴候を発現し、犯行直前には重い性格神経症状態にあり、犯行時には精神病に近い精神状態であつたと診断される。その根拠は、被告人の異常に深い絶望心理、罪責感と被罰欲求からの行動、持続し強化された自殺念慮や自殺企図、間接自殺企図、抑うつ反応、統御不能なほど強度な攻撃衝動の亢進、病的なサド・マゾキスム心理、離人感、現実把握や判断力の低下、被害念慮、自我境界の不鮮明化等である。

このため被告人は、自由な意志能力の関与する可能性のきわめて少ない統御困難な強い衝動に支配され、事物の理非を弁識し、またこれに従つて行動する能力が著しく減退していた、と判断される。

二  本件行為時、被告人の精神状態に影響を与えた決定的因子は、出生以来の劣悪な生育環境と母や姉との生別等に起因する深刻な外傷的情動体験であり、これに遺伝的、身体的に規定された生物学的条件、思春期の危機的心性、沖仲仕や放浪時に顕著な慢性の栄養障害や睡眠障害や疲労等のストレス及び孤立状況、二〇歳未満の無知で成熟していない判断力等の諸要因が複雑に交錯し増強しあつた結果である。」

というのである。

右両鑑定を比較すると、右新井鑑定は、精神医学における了解主義の学説に立脚するものであるが、この学説は、既に現在では誤つた過去の学説とされて、少数説の立場にあること、新井鑑定には、了解主義に立ちながら立場を異にする力動論を部分的に取り入れるなどの理論的矛盾がみられること、被告人が犯行時の心理状態を鑑定人に述べなかつたために、判断の前提たる事実に情報不足があること、専門家によつて行なわれたロールシヤツハテスト、TPIテストなどの心理テストによる所見を、新井鑑定人が病理面からの所見と一致させるために修正して、心理テスト本来の意義を失わしめていることなどの問題点があつて、証拠価値が低いとみられるのに対し、石川鑑定は、多年、矯正行政に携り、多くの非行少年や神経症患者の臨床、治療面を経験した同鑑定人が、世界的にみても精神医学の主流的な立場たるいわゆる力動論に依拠して出した精緻をきわめた結論であつて、証拠価値が高いと考えられるところ、右石川鑑定によれば、被告人は本件各犯行当時、心神喪失又は心神耗弱の状態にあつたことが明らかであるとし、被告人の犯行時の精神状態を、次のように述べている。

すなわち、被告人は、出生以来の極貧その他あらゆる劣悪な条件を具有する崩壊家庭に生育したことに加えて、幼少時、母代りの長姉との離別、母による遺棄といつた深刻な外傷的情動体験等があつたために、人格の全体的発達や性格形成が歪められ、対人関係や、集団生活が困難となり、夜尿症に代表される神経症徴候を生じ、劣等感と絶望感を強め、後年のうつ反応や自殺念慮の基礎が形成されるとともに、心底に恨みと憎悪の種が播かれた。

学童期に至つてからも、被告人の家庭等の生活環境は変化せず、学業成績における兄姉との差異、兄からの暴力、母の叱言、教師・学友からの嘲笑、無視等に加えて、長姉の不倫と胎児の埋葬、母の浮気、父の惨めな死等のシヨツクが重なつて、幼児期に引き続いて、劣等感、被差別感を強め、親兄姉のみならず、人間全般に対する反発、不信感、憎悪を募らせ、攻撃性を亢進させたが、右攻撃性の発散は、まともには行なわれず、あてつけ反応という形をとつて行なわれたために十分に清算されないまま復讐心と結合して恨みや憎悪として心内に蓄積された。

被告人は、就職後も、対人関係の障害等から一か所にとどまることができずに転職を重ねることとなり、その都度、絶望的、自棄的、攻撃的心境になり、その間には、衝動的に非行を犯すという悪循環を繰り返した。

以上のような経過を経て、被告人は、犯行直前ころには、肉身や、社会のすべてから見捨てられ、絶望的な窮地に追い込まれ、自分がこの世で一番不幸な人間だと思うと同時に、正常なはけ口を見出せなかつた攻撃衝動は、恨みとしてうつ積し、みずからは統御できないほど原始的かつ粗野で強烈なものとなつたが、このような心内緊張が持続したために、思考内容は、原因となつた問題に集中し固着し、物事を正確に把握し判断する精神機能が低下した重い性格神経症状態に陥り、本件各犯行は、このような病的精神状態を基礎として、これに、後に述べる各犯行時の種々の要因が加わつて行なわれたものであつて、各犯行時とも精神病に近い精神状態にあつたとしている。

二  よつて、右主張につき、証拠の標目欄掲記の各証拠及び前示後示の各証拠のほか、弁護人の申請によつて取調べた各証拠によつて判断することとする。

まず、右石川鑑定について検討をする。

右鑑定を概観すると、次のような諸点が看取される。

1  石川鑑定には、刑事裁判における責任能力の鑑定としては、その鑑定方法に重大な誤り又は疑問が存する。

(一) 石川鑑定は、主としてその鑑定時において被告人が同鑑定人に述べたり、被告人が公判廷などで主張した、合理性もなく客観的事実と符合の整合もしない事実をそのまま受け容れて、これを正しいものと認め、これを前提とし基礎としてその鑑定をしており、他面、客観的事実や被告人が捜査官に述べた合理的な供述を殆んど採つていない点で、刑事裁判における責任能力の鑑定としては、その鑑定方法に重大な誤りがある。

石川証言は、被告人が石川鑑定人に述べたところに虚偽はないとし、その理由として、被告人は自己の不利益を思われる点まで鑑定人に述べたこと等を挙げているが、被告人は自己に最も不利益な結果となる、重大な本件各犯罪事実を捜査官に供述しているのであり、また、被告人は新井鑑定人の鑑定当時でさえ、同鑑定人に対し犯行時の精神状態にふれる質問に対しては意識的に回避しようとしたというのであるから、石川鑑定人に対する被告人の供述についても、意図的、作為的なものが存しうるわけであつて、その真偽については慎重に吟味すべきであつたものである。しかるに、石川証言は、被告人の石川鑑定人に述べたところをその根拠もないのに虚偽はないとしているが、被告人が同鑑定人に述べたとされる事実は、訴訟法上必ずしもそのまま事実認定の根拠となしうる事実であるわけではなく、被告人が犯行当時自己の認識し記憶したところをそのまま述べたという根拠はなく、また、責任能力の有無に関する判断にとつて重要な思料される諸事実に関してその述べるところは、客観的な裏付けもないばかりか、むしろ、客観的事実と符合せず、これと整合性のない明らかに誤つた事実が多く、鑑定の前提となしえないものである。このような石川鑑定の前提ないし基礎とした事実及びこれから導き出された判断の不合理性は、後に各犯罪事実ごとに述べるとおりである。

(二) 石川証言は、被告人が同鑑定人に述べたところと客観的事実とがかりに異なつているとしても、精神鑑定としては、単に被告人の述べるところによつてその犯行当時における心理状態を把握して、これを基礎にして鑑定すればよいのであり、本件での鑑定もそのような方法によつてなしたものであるから、被告人が鑑定人に述べたことが、客観的事実と食違つていたり、客観的には存在しなかつたとしても、鑑定の結論には何ら影響はないとし、同鑑定人は同旨のことを内藤弁護人あての書簡にも記載している。

しかし、まず、右石川証言は、被告人が犯行当時の自己の認識し記憶したところをそのまま鑑定人に述べたということを前提とするものであるが、前述のように、被告人が石川鑑定人に対し自己が犯行当時認識し記憶したところをそのまま述べたとする何らの根拠もない。

次に、石川証言は、被告人の鑑定人に述べるところは単にその犯行時の心理状態を把握するためのものに過ぎないとするが、石川鑑定は、その判断の過程において、明らかに、被告人の同鑑定人に述べたところを、単に被告人の当時の心理状態としてのみ把えているのではなく、その述べるところを客観的にも真実として把握してこれを鑑定の判断に用いている。この点は、例えば函館事件における被告人の金員奪取の犯意の発生時期や殺意の有無についての同鑑定における判断をみれば明らかである。

さらに、石川証言及び同人の前記書簡は、被告人の同鑑定人に述べたところが客観的事実と相違していても鑑定の結論には影響がないとするが、函館事件を例にとつてみると、金員奪取の意思がいつ生じたかは、犯行の計画性の有無を判断するうえでの重要な徴表というべきであり、犯行の計画性の有無は被告人の精神状態判断の重要な徴表と思われるのに、被告人の鑑定人に対する供述が客観的事実と相違していても結論を異にしないとする論理は、首肯できない。

(三) 石川証言では、被告人が鑑定人に述べなかつたことは推測にわたるので証言できないとする部分がある。

しかし、合理的な推認をすることは、当然許されることであり、むしろ、これが許されないとすれば、例えば被告人が鑑定人に述べなかつたときや、記憶喪失のときは、鑑定不能ということとなるから、右石川証言は極めて不合理というべきである。

(四) 石川鑑定には、基礎資料を誤つて用いている部分がある。すなわち、石川鑑定書の脳波所見には、被告人の脳波は、「後頭部にみられるα波の振幅には明瞭な左右差が確認」され、被告人の睡眠脳波については、「右側後頭部に限局した徐波が出現し易い傾向が強く確認され、一般の正常人脳波と明らかに異なつている。」と記載されており、石川鑑定人は、さらにこれを根拠にして、被告人の脳にある種の脆弱性が存在すると判断し、これが被告人の自殺念慮や抑うつ反応を強めたり、衝動の爆発を惹起しやすくした可能性があると述べている。しかし、石川鑑定人は、脳波について専門的な知識経験を有しないことをみずから認めていて、石川鑑定書中の脳波所見については、医師新井進の診断にかかるものを記載したものであるが、同人の当公判廷における供述によれば、睡眠時に徐波が出現しやすい傾向は異常ではないこと、α波の左右差も被告人程度の差であれば問題はなく、通常人にも往々にして見られる現象であることが認められ、結局、被告人の脳波は、通常人の脳波にくらべてとくに問題があるわけではないものと認められる。にもかかわらず、石川鑑定書は前記のようにこれを誤り用いてその結論を導き出しており、しかも、石川証言では、同鑑定人のいう「脳のある種の脆弱性」の「脆弱性」についてあいまいであり、「ある種」の内容も特定しえない。

(五) 石川鑑定書には、基礎資料自体に疑問の存するものを用いている部分がある。すなわち、石川鑑定書の心理検査所見は、心理学者細木照敏によつてなされたロールシヤツハテスト等により同人が記載したものであるが、その総括において、「本来の知的能力は勝れており(IQ一一九)、知的生産性も大であるが、その効率は必ずしも高くない。その原因は被験者のもつパーソナリテイの歪みのためである。」「適応水準から見ると、自我の現実検討力はかなり低下しており適応は不良であるが、自我の統合力が完全に失われ精神病状態に陥つているとはみなしにくい。しかし部分的には自我境界の崩壊を思わせる反応もあり、その意味で精神病質ないし重症の性格神経症の状態であると、ロールシヤツハテスト上からは判定される。」としている。

しかし、細木所見には、判定の資料とその結論との間に次のような矛盾ではないかと思われる点がある。すなわち、判定資料によると、被告人は、「完全に自我の統合は失われてもいないし、適応が破綻したと思われる反応が少なく、また、著しい思考異常が露呈して第三者には了解不能であるような反応も見当らず、分裂病を否定する高得点を呈する。」とされているのに、その判定結果では、「被験者の適応水準が総体的には精神病の水準ではないが、それに極めて近い適応水準である。」とか、「部分的には自我境界の崩壊を思わせる反応もあり、その意味で精神病質ないし重症の性格神経症の状態である。」とする。

ところで右細木証人は、数量的な評価法があることをもつて、ロールシヤツハテストの客観性、信頼性の根拠としているが、このことからすれば、その数量的な評価法によつて導き出された前記資料の信頼性は高く、判定結果もその資料に添つてなされるのが相当と思われるのに、細木証人は主にⅡカードに対する反応等から、被告人には部分的に自我境界の崩壊を思わせる反応があつたとしている。

しかし、右Ⅱカードについては他の解釈も可能であることは、新井鑑定書の心理検査所見では、そのロールシヤツハテスト(カード3)に対しても同様の反応が窺われたものの、それは被告人が自己の殺人行動を想起したことと関係があるものと解釈されていることからも明らかである。また、細木証人は、被告人が四人もの人間を殺害したことと、Ⅱカードに対する反応とは関係がないと証言するが、新井鑑定書の心理検査所見によれば、被告人の本件殺人行動がカードに対する反応に影響を及ぼすとしているのである。この事実は石川鑑定人でさえその証言で認めている。このようにⅡカードに対する反応をもつて自我境界崩壊の徴表とした細木証言及び石川鑑定書中の心理検査所見と、新井鑑定における心理検査所見及び少年鑑別所が行なつた数次のロールシヤツハテストとの結果の差をみれば、このテストにおける判定にも判定者による個人差のあることが認められるので、細木証人の検査所見を客観的なものとしてそのまま採用するには疑問がある。また、細木証人は、被告人にはテストを受けるに当り作為はなかつた旨証言するが、被告人は既に新井鑑定時にも、犯行時の精神状態にふれる質問については意識的に回避しようとしたことがあり、また、被告人がロールシヤツハテスト関係の本を読み、右テストの知識を有していたことからすると、被験者たる被告人の作為の影響がないといえるかどうかにも疑問がある。さらに、細木証人は、その検査所見はテストの結果のみで判定したとし、被告人の生育歴、経歴、姉の分裂病の点、石川鑑定人から聴いた被告人の法廷での態度、弁護人に対する態度、その他被告人がいろいろの職場に定着しなかつた事実を承知しているが、これらは検査後知つたものであるとしているところ、そのとおりとしても、同証人は、被告人の陥つている運命の過酷さに対する同情もあつたこと及び被験者に対する同情等がテストの所見に影響することのありうることを認めており、その他同証人の証言内容の変遷及び証言態度等も考慮に入れると、同証人の行なつたロールシヤツハテストの判定には疑問がある。なお、同証人は自らの検査所見である「性格神経症」についても、「病的水準の一つの記載カテゴリーとしてあいまいなところを含んでいることを否定しない。」旨述べている。

このように、石川鑑定書中の心理検査所見自体に疑問がある。

しかも、もともと右判定は鑑定時における被告人の心理状態についての判断であつて、犯行前や犯行時のそれではないから、それだけでは、右結論を直ちに犯行時の被告人の精神状態を裏付ける資料となしえないことはいうまでもない。

2  石川鑑定には、内容的にも疑問が多い。

石川鑑定人が前記のような鑑定の方法を用いた結果、同鑑定人が被告人の精神状態判断の根拠とした、本件各犯行に至る経緯、各犯行の動機、目的、犯行の態様、犯行前後の状況等に関する事実には、被告人の捜査官に対する合理的な供述、被告人の当公判廷における認否、実況見分調書及び関係者の捜査官や裁判所に対する供述等から認められる客観的事実、或いはこれらの事実から合理的に推認される事実と符合又は整合しない点が多く、従つて、同鑑定の判定結果はその内容において疑問の多いものとなつている。その具体的な点は後に各犯行ごとに述べることとするが、石川鑑定が各犯行について前提とする事実のうち各犯行に概ね共通して認められる疑問点を挙げると、次のとおりである。

(一) 被告人は、各事件とも、その犯行に至る経緯、犯行の動機・目的、犯行及びその前後の状況などを極めて詳細に記憶していて、これを捜査官に供述しており、その内容は、客観的事実とも符合又は整合しているのに、石川鑑定がその判断の前提とする犯行に至る経緯、犯行の動機・目的、犯行及びその前後の状況には、客観的事実と符合又は整合しない部分が極めて多い。

また、鑑定の判断過程にも不合理な推論が存する。例えば、函館事件において、被告人が自動車の後部座席から至近距離の運転席にいる被害者の頭部・顔面を二回狙撃して弾丸を二発命中させているのに、被告人の殺意が明瞭でないとしているがごときである。

(二) 被告人が捜査官に供述する被告人の各犯行及びその前後の行動には、異常、了解困難ないし不能とされるものはなく、むしろ、犯行の動機・目的・方法、犯行前後の行動について、通常人に十分了解可能である。すなわち、各犯行の動機・目的をみると、或いは警備員等に見咎められることなどにより犯罪が発覚し捜査官に逮捕されるに至ることをおそれての犯行であつたり、或いは金員に窮して金品の奪取を目的とする犯行であつたり、何れも犯行の動機又は目的は了解できるし、犯行の態様をみても、それぞれ合理的、合目的的、或いは計画的に行動に及んでおり、犯行の際にも、指紋の残らぬように上衣の袖口をつかんだ手で自動車の扉の把手に触れたり(函館事件及び名古屋事件)、皮手袋を用いたり、顔を見られぬようスキー帽をかぶつたりして(原宿事件)罪証を残さぬようにし、また、警報器の電線を切断したり(原宿事件)、犯行現場から巧みに逃走をはかつたりし、函館事件の前後には青函連絡船を利用する際乗船者名簿に偽名を記載するなど常に逮捕されないよう細心の配慮をしていることが窺われる。さらに、拳銃を発見されないよう土中に埋めて隠したり、また、その際に錆びないよう措置する配慮をしていることも認められる。

このように、石川鑑定人の判定結論とは相矛盾する多くの徴表が存在する。

その他客観的事実の中にも、被告人が各犯行時石川鑑定のいうような異常と認めるべきものを見出すことはできない。

(三) 石川証言は、被告人が各犯行のころ罪責感を有していたか否かについては被告人が述べないので判らないとしており、他方、同鑑定人は、その鑑定主文中に、被告人の本件各犯行を、罪責感と被罰欲求からの行動と記載しているところ、同鑑定人は、後者の場合、罪責感というものを、倫理的道義的な反省を伴つたものでなく、単に犯罪を犯せば処罰されるという程度のものとして用いているようであるが、被告人は判示第一ないし第三の犯行後、自殺を決意したこと、自殺にあたつても自己が前記各事件の犯人と発覚すれば家族に迷惑をかけることを慮つて犯人たることが発覚しない方法を選ぼうと考えたこと、北海道において社会科学習小事典(昭和四四年押第一四五七号の73)の余白に「罪を、最悪の罪を犯しても、……」と記載していること、また、捜査官に対する供述及び公判廷における当初ころの供述にも、罪責感を窺わせるものが見受けられることからすれば、被告人が各犯行当時罪責感を有していたものと推認できるし、何よりも、石川鑑定人に述べたとされる被告人の供述そのものの中にさえ、被告人自身が犯した罪に苦しむ趣旨のことが何か所も見出され、とくに、判示第五の犯行後第六の犯行前、被告人はそれまでに犯した犯罪についての苦しい胸中を年若い恋人に打明けようとしながらも、遂に打明けえなかつた旨鑑定人に述べたというのであるから、被告人が罪責感を有していたか否か判らないとする石川証言はまことに理解し難いものである。

(四) 石川鑑定が、被告人は犯行直前には重い性格神経症状態にあり、犯行時には精神病に近い精神状態にあつたと診断する根拠として挙げる諸徴候については、或いはその相互間において矛盾し、或いは犯行時における被告人の具体的行動との間において整合性がなく相矛盾するなど疑問が多い。すなわち、被告人のパニツク心理と間接自殺企図との間、パニツク心理と犯行の計画性との間、間接自殺企図と逃走をはかつていることとの間(とくに原宿事件では叩き落された拳銃を拾い上げて必死に逃げている)には相矛盾するものがあるように見受けられ、石川証言からもこれらが相矛盾しないことについて首肯できるほどの説明は得られなかつた。

(五) 石川鑑定は、本件犯行直前における被告人の精神状態を重い性格神経症状態、犯行時の精神状態を精神病に近い状態と診断し、これに影響を与えた決定的因子は、出生以来の劣悪な生育環境と、母や姉との生別等に起因する深刻な外傷的情動体験であるとしている。

しかし、もともと神経症自体の責任能力に及ぼす影響についてはいろいろ見解が対立しているのに(村松常雄・植村秀三共著「精神鑑定と裁判判断」二九頁以下)、石川鑑定は「性格神経症」の概念を必ずしも十分明らかにしてはいない。この点は、この鑑定の心理検査を担当し同様に「性格神経症」の判定をした細木証人さえ、これについて前記のように、「病的水準の一つの記載カテゴリーとしてあいまいなところを含んでいることは否定しない。」と述べている。

また、被告人が半年ないし八か月にわたり継続して重い「性格神経症」にかかつていたと診断する点も、被告人の捜査段階における供述及びこれによつて認められる被告人の各犯行に至る経緯、犯行及びその前後の行動等に照すと、刑事責任に影響を及ぼすほどのものであるかどうかについて疑問が多く、また、たとえば右診断の根拠の一つとして挙げる「離人感」のごときも、被告人の基地侵入及び東京プリンスホテル事件の直前に見出されるものとするが、もともと被告人はこれについて捜査官には供述していず、かりにこれが存在したとしても、右は通常人にも見受けられるものとされており、被告人の場合は、これが病的なものとされるほど頻繁継続的にあらわれたとは認められない。

さらに、石川鑑定が、幼児期における母との別離の及ぼした影響について強調する点も、新井鑑定によれば、被告人は当時まだ幼くて母との別離を知らず、明るくくつたくがなかつたとされていることや、被告人と同様の立場に置かれた兄達の成人後の状況からみて、かなり疑問がある。

被告人は、小、中学校時代は欠席が多かつたが、中学卒業後いわゆる集団就職で上京し、渋谷の西村フルーツ・パーラーに勤務し、その間は、証人福家〓に対する当裁判所の尋問調書によれば、被告人は果物の包装、販売などの職務に従事しており、仕事のうえでも寮生活のうえでもとくに問題はなく、冗談も言う普通の性格という印象であつたとされている。その後も本件犯行を起こすまでの三年あまり、職場を転々として窃盗・基地侵入・密出国などの事件を重ねてはいるものの、重大な犯罪も犯さず、一応就職もできて各職場での仕事を果たしており、自衛隊の一次試験にも合格し、一時は明大付属中野高校(定時制)に通い、クラスの委員長に選ばれるなど通常の生活を送つている。さらに、判示第五の犯行後第六の原宿事件までの間は、被告人は深夜喫茶店スカイコンパ、同ビレツジバンガードに就職し、恋人もでき、いわゆるゴーゴーにも熱中するなどして明るく勤務していた状況も窺われ、また、原宿事件前の三月には金員に窮し、母に対し交通事故を起こした旨詐りの手紙を出して一万円の送金を求め、五〇〇〇円送金を受けた事実も認められる。さらに、本件逮捕前、或いは逮捕後三か月ころから記したその手記の内容等をみても何ら異常な点は窺われない。

これらの諸事実から考えると、被告人の幼児期における外傷的情動体験が、直接本件各犯行とどのように結びつくのか不明であり、石川鑑定の前記判断は、被告人の本件犯行時における精神状態について、その幼児期における外傷的情動体験及び素質的負因を過大視しているものと考えざるをえない。

(六) 石川鑑定は、「ねぼけ」ないしは「寝起き」の半睡状態など、本件各犯行当時被告人について客観的に認められていない事実を、存在するものと認め、これを前提に鑑定の判断を導き出している。被告人が各犯行時、半睡状態でも「ねぼけ」の状態でもなかつたことは、被告人が各犯行に至る経緯、犯行及びその前後の状況をよく認識していてこれを捜査官に供述していること、その供述内容は客観的事実とも符合していること、被告人の行為の中には不合理なものや了解困難なものも認められないこと、かえつて、その行為の中には、例えば函館事件のように事前に拳銃に実包を装填し、犯行に適する場所まで運転手に自動車を走行させるなど計画性さえ窺われるものもあること等によつて明らかである。

(七) 石川鑑定が前提とした事実自体客観性がなく措信できないものが多いことは前述したが、同鑑定人が前提とした事実をかりに前提として考えても、同鑑定のような結論を導き出すことには大きな疑問が生ずる。すなわち、石川鑑定では、被告人の犯行時の精神状態について、例えばねぼけ又は半睡状態、パニツク心理などの徴表を挙げているが、被告人が石川鑑定人に述べたという事実でさえ、犯行に至る経緯、犯行及びその前後の状況について詳細、具体的、明瞭に記憶しているものとして供述しているのであるから、かりにこれから推しても、「ねぼけ」「半睡状態」「パニツク心理」等の徴表が導き出されることは不合理というべきである。

3  石川鑑定には、主文自体に疑問がある。

石川鑑定書主文及び石川証言によると、被告人の精神状態は、犯行前、犯行直前、犯行時と三段階に区別され、同鑑定人において、昭和四三年八月ころ行なわれたとする第二回目の横須賀基地侵入(尤もこの時期の基地侵入事件は証拠上認められない。)までが「犯行前」とされ、その後本件判示第一の窃盗行為直前までが「犯行直前」、判示第一の犯行から最後の犯行までの間で犯行終了後次の犯行までの間は「犯行直前」とされており、換言すれば、被告人は、昭和四三年八月ころまでの「高度の性格の偏りと神経症徴候」が判示第一の犯行直前までに「重い性格神経症状態」に進み、判示第一の犯行時には「精神病に近い精神状態」に達し、その後判示第二の犯行の直前までは「重い性格神経症状態」にまでその程度がさがり、判示第二の犯行時には、再び「精神病に近い精神状態」に高まり、最後の犯行に至るまで、右同様の循環をするという形をとることになるのであつて、それ自体かなり不自然な理解し難い型と思われるが、前記及び後記三のとおり、これら各犯行において、「重い性格神経症」が「精神病に近い精神状態」に進む要因をなすほどの事実も認め難いし、また、これらの期間における被告人の行動にはそのような精神状態のめまぐるしい変化を窺わせるものも認め難い。

以上を併せて考えると、石川鑑定は、前記のような鑑定方法をとつた結果、その内容において、被告人の具体的行動や客観的事実と符合せず整合性を有しない、多くの疑問を含むものとなり、結局、その判定結果たる、各犯行直前の「重い性格神経症状態」、各犯行時の「精神病に近い精神状態(石川鑑定書では、犯行時の被告人の精神状態を分裂病とはせず、精神病に近いと判断しており、他方石川証言においては、一般に、精神病とくに分裂病の診断は、人格の解体を一番のメルクマールとするところ、被告人の場合その人格の解体が症状として出ているから精神病に近いとし、また石川証言では神経症から分裂病への移行を認める仮説をとるというのであるから、鑑定書にいう「精神病に近い」という点が分裂病に近いということを意味するものとしても同様)」という被告人の精神状態は、客観的事実や被告人の犯行及びその前後の行動等とも符合せず整合もしないこととなつており、これに後記三、四のような諸点も考えると、石川鑑定のいう、犯行直前及び犯行時における被告人の精神状態は、刑事裁判の観点からする責任能力に影響を及ぼす程のものでないと考えられるので、石川鑑定の結論部分ともいうべき、被告人が「事物の理非を弁識し、またこれに従つて行動する能力が著しく減退していた」とする点は、到底採用できない。精神医学の次元での判断と法的次元の判断が異なる結論に達することのあるのは、やむをえないところである。

三  次に、前記各証拠に基づいて、被告人の判示各犯行ごとに、その是非善悪の判断能力及びこれに従つて行動する能力の有無及び程度を検討する。

1  判示第一の事実(横須賀基地窃盗事件)について

石川鑑定は、被告人が鑑定人に対して、「いつそ大きいことをして捕まり少年院に入れられた方がよい。米軍基地で砲弾や機雷を爆発させて射殺されたら、それでもいいと思つて基地に侵入した。」旨述べたこと、被告人に中学生のころから自殺念慮が存在し一〇回以上にわたる自殺企図があつたこと、本件以前の基地侵入も間接自殺的動機によると認められることなどを理由として、本件犯行時における被告人の心理をいわゆる「間接自殺企図」であつたとし、その他異常に深い絶望心理、自我境界の不鮮明、栄養不足、睡眠不足等の状況にあつたとしている。

しかし、被告人の本件における米軍基地への侵入は、被告人が窃盗目的で行なつたものであること(そのことは、被告人が当時いわゆるゴーゴーに耽り金員に窮していて窃盗の動機があること、被告人には窃盗の非行歴もあり、被告人の本件以前の基地侵入の際も金品を窃取していること、被告人は現に本件において金品を物色していることからも明らかであること)、被告人の本件犯行の態様をみると、灯のついていない留守の家を選んで侵入し金品を窃取するという発見・逮捕されないよう合理的な行動をとつていること、窃取後は盗品を持つて基地外に逃走していること、窃取した拳銃は試射したうえ発見されないよう隠匿していること、被告人は本件犯行に至る経緯、犯行の動機・目的、犯行及びその前後の状況をよく記憶していてこれを捜査官に供述しており、その内容は客観的事実とも符合していること等が認められるのであつて、これらの諸事実に徴すると、被告人が、本件犯行時その精神状態において、是非善悪の判断能力及びこれに従つて行動する能力を有していたことは明瞭というべきである。

なるほど、被告人の検察官に対する昭和四四年五月二四日付供述調書中に、「盗みに入つたのも、若し歩哨にでも見つかつて銃で射たれて死んでもよいと思つたことも一つの理由でした。」との記載部分があり、証人斉藤則之に対する当裁判所の尋問調書中に、右記載内容にそう部分はあるが、本件当時、被告人の客観的行動に、石川鑑定のいう間接自殺の企図等を窺わせる徴表のないことは、前記の諸事実からも明らかであり、被告人は窃盗後も何ら逮捕されることを期待するような行動をとつていないばかりか、逮捕されないよう逃走することに全力を尽しており、自首をしたわけでもなく、機雷や砲弾を爆発させるような何らの具体的行動もとつていず、また、窃盗では長期間拘束されることを期待できないこと等から考えて、本件犯行が間接自殺企図に発したものとは認め難い。

なお、もともと一般的に間接自殺企図それ自体がそのまま直ちに刑法上の責任能力に影響を及ぼすかどうかは別問題である。

2  判示第二の事実(東京プリンスホテル殺人事件)について

石川鑑定は、本件は、被告人が警備員に追いつめられた状況下で、極度にうつ積していた攻撃衝動が統御できないほど強度に亢進し、極度の疲労、不眠、栄養障害、空腹、寒さ並びに寝起きのぼんやりした半睡状態などの身体的因子や自殺念慮も存在し、急激な情動葛藤からパニツク心理に陥り、偶発的に行なつた激情犯罪であるとする。

しかし、被告人は、判示のように、本件犯行の前々日から実包を装填した拳銃を隠し持ち、しかも右実包の装填にあたつては、暴発の危険をおそれて第一発目を装填しなかつたこと、また、被告人は犯行の前々日から犯行に至るまで池袋、新宿、渋谷で映画を観、ボーリングをし、喫茶店に入るなどして遊んでいて何ら異常な行動は認められないこと、本件犯行の動機も、警備員より誰何されていきなり短絡的に犯行に及んだわけではなく、判示のように警備員と問答を交わすなど当初は冷静に対処しており、警備員から、「一寸来い。」と言われて襟をつかまれ、一旦は振り切つて逃げ出したものの、つまずいて転倒するや、警備員に捕れば所携の拳銃を発見され、基地侵入の窃盗事件も発覚するものとおそれて、同人を射殺してでも逃げようと決意したものであること、犯行の態様も、右手に擬した拳銃に左手を添えて適確に相手の顔面等を二回狙撃して、弾丸を命中させていること、被告人は犯行の前々日から犯行に至るまでの行動、犯行の動機、犯行及びその前後の状況、犯行現場たる東京プリンスホテル周辺の状況等を詳細に記憶していて捜査官に供述しており、これらの内容は客観的事実と符合していること、本件犯行直前の被告人の行動、犯行及びその直後の行動にはとくに奇異、不可解な点も見受けられず、その行為は合目的的であつて、通常人にも十分了解可能であること等の諸事実から考えると、被告人は本件犯行当時是非善悪の判断能力及びこれに従つて行動する能力を有していたことは明らかである。

本件犯行自体は偶発的なものであるとしても、弁護人、石川鑑定のいうような、被告人が警備員に追いつめられ、その攻撃衝動が統御できないほど亢進し、一方自殺念慮、疲労、半睡状態等と相まつてパニツク心理で激情的に本件犯行に及んだものでないことは、前記認定の諸事実に照し明らかである。すなわち、犯行の前々日から犯行に至る間の被告人の行動からみても、被告人は自殺念慮を有したり、その精神状態に著しい影響を及ぼすほど疲労や空腹等の状態にあつたとは認め難いこと、犯行当時被告人は、寝起きではあつても、半睡状態でなかつたことは、被告人が犯行及びその前後の状況をよく記憶していて捜査官に供述しており、それが客観的事実とも符合していることからも明らかであること、前記のとおり犯行の動機も態様も了解可能なものであること、予め実包を装填した拳銃を所持していてこれを用いたこと等からすれば、本件犯行が責任能力に影響するようなパニツク心理で行なわれたものでないことも明らかである。

3  判示第三の事実(京都八坂神社殺人事件)について

石川鑑定は、本件は従来から継続していた疲労、不眠、栄養障害、寝起き等の身体的因子の存在に加えて、東京プリンスホテルの殺人事件を犯したことによる動転、混乱、死刑の確信、間接自殺念慮という情況下で、東京プリンスホテル事件の場合と同様、統御できないほどの強度の攻撃衝動の亢進とパニツク心理によつて惹起された激情犯罪であるとしている。

しかし、判示のように、被告人が京都に赴いた理由は、東京プリンスホテル事件を犯したため、東京・横浜にいては逮捕されるおそれありと判断し、捜査の手を逃れるためとまだ見たことのない京都の名所旧蹟等を見物するためにこれを選んだものであること、京都に着いてからは予定どおり市内の旧蹟等を見物し、パチンコ、映画に時を過ごすなど、その目的及び行動からみてとくに異常は認められないこと、被告人は警備員である被害者から誰何されて直ちに拳銃を発射したものではなく、判示のように、警備員と問答を交わすうち、「警察がすぐそこにあるから行こう。」などと言われ、どうしても逃れられないと感じて、まず、ジヤツクナイフを突きつけ、「近づくと刺すぞ。」と申し向けて相手を脅したが、相手がこれにひるまず、被告人を警察に連行しようとしたため、ここにおいてはじめて拳銃発射を決意し、犯行に及んだものであつて、むしろ被告人は比較的冷静に事態に対処していたことが認められること、犯行の態様をみても、相手の顔面、頭部等を適確に狙撃して弾丸を命中させていること、しかも、全弾発射したのは、いくら射つても相手が倒れないで向つてきたため命中しなかつたものと思つて射つた旨述べていること、被告人は犯行直後現場にかけつけた警察官から「出てこい。」と言われたのに、逮捕されないよう、茂みに身を隠し、柵を乗り越えて必死に逃走を図つたこと、以上の被告人の一連の行動は合理的、合目的的であつて通常人にも十分了解可能であること、被告人は犯行に至る経緯、犯行及びその前後の状況を明確に記憶していてこれを詳細に捜査官に供述しており、その内容は客観的事実とも符合していること等の諸事実から考えると、被告人が本件犯行当時是非善悪の判断能力及びこれに従つて行動する能力を有していたことは明らかである。

なお、横浜から見物をかねて京都にまで赴いたことや適宜食事をとりつつ市内見物、パチンコ、映画等で一日を過ごした点などから考えると、被告人が犯行時石川鑑定のいうような判断力の低下をもたらすほどの疲労、不眠等の状況にあつたとも認められないし、前記のような被害者射殺に至る経緯において明らかなように、警備員との応待状況等からみて、責任能力に影響するほどのパニツク心理による犯行とも認められず、前示諸状況や被告人の記憶の状況からみても被告人が寝起きの半睡状態その他石川鑑定のいうような状況でなかつたことは明らかである。

4  判示第四の事実(函館強盗殺人事件)について

石川鑑定は、本件は、被告人が東京プリンスホテル事件及び京都八坂神社事件を犯したため、「人を殺したから自分も死ななければいけない。」と覚悟をきめて北海道まで行つたのに、どうしても死にきれず、他方では自分を見捨て、厄介者視した親、兄、姉ひいては社会全体への恨みがつのり、これらの自殺企図と恨みの心理葛藤が、絶望に打ちひしがれていた被告人の精神的緊張と攻撃衝動をそれまでになく高め、思考と行動を混乱させ、それに慢性的な栄養失調状態、寒さや野宿からくる睡眠不足、極度の疲労等のストレス、空腹、寝起きの半睡状態等が加わつて、被告人は、次兄の「どうせ死ぬなら熱海でもいいじやないか。」という言葉に改めて激しい憤懣を覚え、死のうという気持より自分を見捨てた親、兄、姉ひいては社会全体に対する恨みと憎悪が次第に優位に立ち、次兄に対するあてつけからせめて北海道に来たことを証明するために、事件を起こそうという異常な考えになり、本件を犯すに至つたものであるとする。

しかし、判示のように、被告人は札幌から函館へ向う途中、所持する前記社会科学習小事典(昭和四四年押第一四五七号の73)の余白に、故郷北海道で消える覚悟で帰つたが死ねなかつたこと、せめて二〇歳まで最悪の罪を犯してもみたされなかつた金で生きると決めたこと等の趣旨の記載をなし、それまでの心理的葛藤を一応解決し、右のような決意をしたことが認められること、被告人の捜査官に対する供述調書によると、被告人は、横浜へ帰ろうとして札幌から函館まで来たものの、所持金がわずか一〇〇円くらいとなり、それから先の旅費等にも窮したために、タクシーの運転手を殺害してその売上金を強奪することを思いついたこと、そのため予め函館駅の便所内において拳銃に実包をこめ、それを隠し持つて本件被害者の運転するタクシーに乗りこみ、行先を七飯と命じ、犯行に適する人家の少ない郊外まで運転走行させて計画的に犯行に及んだものであること、犯行態様も、自動車が停止するや否や、後部座席から防犯ガラスを避けて左後方より運転手に発砲したものであること、しかも、相手の頭部を適確に狙撃し二発を命中させていること、相手が倒れるや直ちに売上金等を強取し、車外に出る際には指紋を残さないよう上衣の袖口をつかんだ手で車のドアを開けるなど極めて慎重冷静に遂行された犯行であること、犯行後青函連絡船に乗船する際には乗船者名簿に偽名を記入していること、被告人は犯行及びその前後の模様を詳細明確に記憶していて捜査官に供述しており、右供述は客観的事実とも符合していること、上記のような被告人の犯行の動機、犯行態様、犯行前後の行動等は通常人に十分了解可能であること等の諸事実からすれば、被告人が本件犯行当時是非善悪の弁別能力及びこれに従つて行動する能力を有していたことは明らかである。

石川鑑定は、被告人が函館市内の広場に停めてあつた幌のある自動車内に入つて疲れをいやすために眠つたが、寒さのため目を覚まし、睡眠不足と極度に疲労した頭で、暖いところはないかと考えながら駅の方へ歩いているときたまたま後方からタクシーが来たので、車内は暖いだろうと考え、ふらふらと乗車してしまつたものであり、乗車後事件を起こすならばこの時だと思い、なお迷いつつ、本件犯行現場に至つてはじめて運転手に停車を命じ、拳銃を発射したものであつて、金員奪取の意図が生じたのは、運転手である被害者に拳銃を発射して逃走する際であるとしているが、本件は前示認定のとおり計画的犯行であつて、石川鑑定のいうような暖を求めて乗車したこと等の事実は認められず、石川鑑定のいうような心理的葛藤から思考力、判断力、行動が混乱し、これに疲労、寝起き、寒さ等が加わつて生じた異常心理に基因するものとも認められないことは、前記のように被告人が犯行及びその前後の状況を詳細明確に記憶していて捜査官に供述し、右供述が客観的事実と符合していることからも十分窺えるところである。なお、被告人に金員奪取の意思が生じた時期の如何は、被告人の犯行時の精神状態を判断するうえで重要な徴表ともいうべき犯行の計画性の有無に関係があるところ、右時期について、石川鑑定は、前記のように、被告人が被害運転手に拳銃を発砲して同人が動かなくなつたのち、自動車が五メートルくらいバツクして石にぶつかつて止まつたため、後部のドアが開かなくなり、そこからは降りられなくなつたので、前から出ようとして運転席に移つた際、偶然に小銭入れ被害者の胸ポケツトに紙幣があるのが目にとまつたため、はじめてこれを盗る気になつたとしているが、司法警察員大倉末吉作成の昭和四三年一〇月三〇日付実況見分調書によると、本件タクシーの後部座席のドアは左右とも開閉可能の状況にあり、最初に本件タクシーを現場で見た秋田勝年の検察官及び司法警察員に対する各供述調書によると、後部左側のドアが完全に締まつておらず一寸(すん)位開いたままの状況になつていたこと、石川鑑定人に対する被告人の供述のとおりとすれば、被告人が実包をいつこめたか明らかでないばかりか、右供述中には、被告人が二発しか発射していないのにあとで六発こめ直したという不合理な点もあつて、被告人の同鑑定人に対する右供述は全く措信できないのに、同鑑定人は、これを前提として鑑定しているものである。

5  判示第五の事実(名古屋強盗殺人事件)について

石川鑑定は、本件は、被告人の寝起きのぼんやりした半睡状態、寒さや野宿から生じた睡眠障害及び栄養障害等の身体的因子が関係し、被告人が、既に犯した三つの殺人事件、とくに函館事件に心を責められるとともに、逮捕されるという被害妄想的な考え方に支配されて、不安、緊張が高まり、さらに一層うつ積していた攻撃衝動が、本件被害者たる運転手の「あんた、東京の人でしよう。」などという言葉によつて爆発し、その結果犯すに至つた犯行であり、本件より前の事件とは異なり、被害妄想的な異常心理に支配され、思いつめて行なつた犯行であると判断し、また石川証言では、被告人は本件当時間接自殺企図も有していたとされている。

しかし、もともと被告人が名古屋に来た理由は、被告人は函館事件後横浜で沖仲仕をしていたが、東京の近くにいては逮捕される危険があり、名古屋にも沖仲仕の仕事があると考え、また同地には姉と妹が住んでいて気が引かれたためであることが窺えるのであつて、そこには何ら異常性はないこと、名古屋に到着してからは初日は映画を観て過ごし、翌日も映画とパチンコで過ごしたのち、翌朝の仕事を見つけようとして本件タクシーに乗り港へ向つたものであつて、その間の行動にもとくに奇異なものはないこと、たまたま乗車したタクシーの運転手から、「あんた、東京の人でしよう。」と言われただけで、逮捕されるに至るかも知れないとして運転手を殺すしか逃れられないと考えたというのは、一見やや短絡的なもののように見受けられかねないが、被告人の場合は、何らの犯罪も犯していないのに逮捕されると思つたものではなく、既に三人も人を殺し、捜査当局は右各事件の犯人を追及していたのであり、客観的には当時捜査当局にも被告人が犯人であることはまだ判明していなかつたが、被告人は、京都八坂神社の事件の際所携のジヤツクナイフを犯行現場に遺留したことから、自己の指紋が発見されたかも知れないという危惧の念を抱いており、自己が犯人であることが捜査当局に判明しているかどうかは被告人自身には判つていなかつたのであるから、被告人が些細なことにも細心の注意を払うのは自然であり、とくに被告人が先に函館で殺害した被害者と同じ職種のタクシー運転手から、被告人がどこから来たか知つているかのように言われて、驚愕したとしても、無理からぬ点もあるし、この名古屋のタクシー運転手の口からやがて東京の若者を乗車させたことが捜査官の耳に入つて、被告人の足どりが捜査当局に判明し、手配・逮捕される結果となることをおそれたとしても、何ら奇異不自然な考え方とはいえず、妄想ともいえないこと、しかも、被告人は単に前記のような動機だけで右運転手の殺害を考えたわけでなく、当時所持金が約二〇〇〇円しかなく金員に窺していて、運転手から金品を強取しようという利欲に発した計算もしたものであること、犯行に適する人気のない本件犯行場所まで自動車を運転走行させて犯行に及んでいること、犯行態様をみても、適確に相手の頭部を狙撃し、弾丸を四発命中させていること、金品奪取の際には函館事件の場合と同様指紋を残さないよう上衣の袖口を使つて車のドアを開け締めしたり、ドアの把手に緊縛されていた現金入りの布袋だけではなく運転席の前に置いてあつた腕時計まで奪つたものであること(このような冷静な行動は決して攻撃衝動に駆られての犯行とは認められないこと)、奪つた品物のうち不要のものは発見されないように隠匿したこと、犯行及びその前後の状況を詳細明確に覚えていて捜査官に供述し、右供述内容は客観的事実とも概ね符合していること等の諸事実から考えると、被告人は本件犯行当時是非善悪の判断能力及びこれに従つて行動する能力を具えていたことは明白である。石川鑑定のいうような異常な被害妄想心理や攻撃衝動の爆発、寝起きの半睡状態、間接自殺企図等による犯行とは認められない。

なお、石川鑑定のいう、被告人が被害者を殺害して一旦現場を離れたのち、現場に立ち戻つて金品を奪う意思を生じたとする点も、被告人がその際路上に落ちていた血のついた座ぶとんを自動車の中に入れたとの弁解にもかかわらず、客観的には本件被害自動車が発見された当時右座ぶとんは路上にずれ落ちた状態にあつたこと等と必ずしも符合しないし、被告人は、さきに判示のとおり、運転手を殺害して金品を奪取する決意で犯行に及んだものであり、この点に関する被告人の捜査官に対する供述は、客観的事実とも符合しており、わざわざ人気のない犯行に適する場所まで車を走行させたことや、被告人が既に函館で同様の犯行を犯していることからも、金品奪取の犯意が殺害行為以前にあつたとする自供は十分信憑性があるというべきである。

6  判示第六、第七の各事実(東京原宿強盗殺人未遂事件及び拳銃等所持事件)について

石川鑑定は、本件は、連続殺人事件とくに流血の惨をみた名古屋事件の重みに苦しみ、耐えきれなくなつた被告人が肉親や愛人からも理解されず、自殺も自首もできなくなり、最後の死場所を選ぶため起こした病的な間接自殺企図によるものであるとする。

しかし、被告人は、名古屋事件後、捜査の追及を免れるため、横浜で沖仲仕などをしていたが、昭和四三年一一月末上京して、東京都中野区内にアパートを借りて住み、同年一二月から新宿の深夜喫茶店スカイコンパでボーイ見習として働き、昭和四四年一月から、新宿の深夜喫茶店ビレツジバンガードに移り、原宿事件で逮捕されるまで、同店でボーイとして働き、その間恋人もでき、同棲生活を送るなど約四か月間普通の生活を送つていたこと、第一九回公判調書仲の証人今井悦男の供述部分によると右スカイコンパにおける被告人の態度、様子は、「素直で忠実で非常に若さあふれる」人であつたというのであり、第一九回公判調書中の証人黒沢憲治の供述部分によると、右ビレツジバンガードにおける被告人の態度、様子は、「ほかの従業員より明るい」ものであつたというのであるから、このような被告人の本件前の生活状況からみれば、被告人が自首や自殺を決意するほどせつぱつまつた精神状態にあつたとは認め難いこと、被告人は本件第六の犯行当時、金員に窮しており、三月に母に対し交通事故を起こしたと詐つて一万円の送金を依頼し、五〇〇〇円送金を受けたが、犯行前には所持金わずか一二〇〇円となり、これで五月一日の給料日までもたせる必要があつたこと、本件犯行直前にも道路や車庫に駐車していた三台の自動車のガラスを所携のドライバーで壊して車内を物色し、うち一台から都内地図を窃取したこと、本件犯行に際しても指紋を残さないよう皮手袋をはめ、顔をかくすためにスキー帽をかぶつたこと、所携のドライバーを使用したこと、事務所内に侵入してからは机の抽出しやロツカーを開け貯金箱の中味を出そうとしたり、郵便切手をとり出すなどして金品を物色していること、警報装置の電線を切つていること(被告人は石川鑑定人に対し、発見されるようわざとこの電線を切断したと述べているが、被告人の捜査官に対する供述によつて認められるように、警報装置が作動しないようにするため切断したことは明らかである。)、警備員が現場にかけつけてくるや、まず発見されないように隠れ、次いで発見されると逮捕を免れるため警備員に対し所携の拳銃を発射し、拳銃を叩き落されたのに、これを拾つて、さらに警備員に対し拳銃を発射し、必死になつて逃走をはかつていること(この行為自体間接自殺企図とは相矛盾するものであること)、被告人は犯行に至る経緯、犯行の動機・目的、犯行及び犯行前後の状況を詳細明確に記憶していてこれを捜査官に供述しており、右供述は客観的事実と符合すること等の諸事実からすれば、被告人は本件第六、第七の犯行当時是非善悪の判断能力及びこれに従つて行動する能力を具えていたことは明らかである。

なお、石川鑑定がその判断の根拠として挙げる諸点は、鑑定時における被告人の同鑑定人に対する供述によるものであるが、被告人はそのような事実を捜査官に対しては供述していず、右鑑定人に対する供述は客観的に認められる前記犯行及び犯行前後の状況と符合も整合もせず、とくに被告人が拳銃で自殺をはかつたとの点について、被告人は捜査官に対して自殺しようと思つたとは述べているが自殺をはかつたことは述べていず、昭和四四年五月九日付司法警察員増田實作成の写真撮影報告書によると、昭和四四年押第一四五七号の5の一七発の拳銃用実包のうち、白紙で包んである三発は、被告人が逮捕された当時所持していた拳銃に装填されていたものであるが、右三発の底部には引鉄を引いて生じたいわゆるへり打ち痕はなく、自殺をはかつて引鉄を引いたが不発であつたとする被告人の供述は根拠がないこと、前記のように被告人は警備員に一旦叩き落された拳銃を拾い上げたうえ、さらに相手に発射するなどして必死に逃走をはかつていること、昭和四四年四月八日付司法警察員宮本弘一外五名作成の被疑者居宅の捜索差押実施状況報告書によると、被告人が当時居住していたアパート内は何ら整理整頓された様子も見られないこと、第一九回公判調書中の証人黒沢憲治の供述部分によると、同人は被告人が勤務していたビレツジバンガードの支配人であるが、本件犯行前日である六日朝五時ころ被告人は右黒沢に対し電話で欠勤を詫びるとともに同日午後九時からの勤務には出勤する旨約したことが認められること、石川鑑定は、判示第六の犯行現場で、被告人が外部からかかつてきた電話に出て応答したというが、木村勝重の司法警察員に対する供述調書(二通)によると、同人は一橋ビジネススクールに電話をかけたが、相手側は電話に出なかつたというのであるから、被告人が電話に出て応答した事実はないと認められること等から考えても、被告人が間接自殺企図で本件第六、第七の各犯行に及んだとする石川鑑定は根拠がない。

四  新井鑑定、鑑別結果、被告人の知能、遺伝的負因等について考察する。

新井鑑定書及び新井証言についてみると、その結論は、被告人の本件各犯行当時の精神状態は狭義の精神病ではなく、性格上の偏りだけが問題の分裂病質ともいえる状態であつて、倫理感、罪責感にも欠けるところなく、感情の鈍麻も情動の喪失もなく、是非善悪を弁別し、これに従つて行動する能力はあつたと判断しているものであるが、新井鑑定人が右判断の前提としている事実は、裁判所の認定した事実と概ね一致していて、その判断過程にとくに疑問とする点も存在しない。

被告人の少年調査記録中、被告人が原宿事件で逮捕されて間もなく作成された東京少年鑑別所の昭和四四年五月一五日付鑑別結果通知書によると、被告人の知能はIQ一〇三で普通級であり、精神障害の有無については、拘禁反応(反応性気分変調)は認められるものの、精神分裂病、躁うつ病その他狭義の精神病を疑わせるような所見は認められず、脳波も正常で、知力障害も認められないが、性格の偏りは著しく、総じて分裂病質に特有な像を示していることが認められ、結論として分裂病質の精神病質と診断されていること、被告人の少年調査記録中の横浜少年鑑別所作成の昭和四一年一〇月一一日付鑑別結果通知書及び東京少年鑑別所作成の昭和四三年二月一五日付鑑別結果通知書では、いずれも精神障害は認められず、精神状態について準正常と診断されていること、証人玉生道経(元東京少年鑑別所長)に対する当裁判所の尋問調書によれば、被告人は、分裂病でなく、分裂気質の精神病質者と診断されていることの各事実は、新井鑑定人の前記判断を裏付けているものである。

また、被告人の知力障害の有無についてみると、新井鑑定書によれば言語性IQ八六、動作性IQ一〇四、全IQ九二であり、石川鑑定書によれば言語性IQ一一三、動作性IQ一二〇、全IQ一一九であることが認められ、被告人に知力障害は認められない。

さらに、被告人の遺伝的負因についてみると、被告人の長姉及び父系従姉は、精神分裂病に罹患しており、母系の祖母の妹及びその長男が精神薄弱であつたことが認められるが、新井証言によると右の事実から被告人が精神分裂病に罹患する確率は通常人よりかなり高いが、本件各犯行時には、被告人は精神分裂病に罹患しておらず、性格的な偏りないし異常性格であるにすぎないものと認められる。

脳波についても、石川鑑定以外は、新井鑑定、鑑別時の各検査のいずれも異常とはされていず、石川鑑定がその基礎とした新井進医師の検査結果も、石川鑑定が判定するような異常ではないことは前記二、1、(四)のとおりである。

なお、被告人の集団就職による上京後の生活は、短期間に職を転々としていることは認められるが、これは被告人の社会性の未発達による他人との不協調、爆発的で短気な性格から理解できるところであり、これを、直ちに異常性の発露と考えることはできない。

以上の諸点は、前記三の当裁判所の判断にそうものということができる。

五  弁護人は、被告人の公判段階での主張及び言動、すなわち本件のうち原宿事件は警察当局が右事件より前の事件の犯人を被告人であると特定していながら少年法改正のために被告人を逮捕せずに泳がせていたとし、当時府中でおこつたいわゆる三億円事件も被告人を静岡事件でとり逃したことと尾行していたこととを隠蔽するために公安警察がひきおこした謀略事件であるから、これら警察の違法行為を暴露するために静岡事件の真相を追及することが必要であるのに、裁判所、検察官、東京弁護士会及び同会に所属している国選弁護人はそれを妨害しようとしているなどとして、公判廷で裁判官、検察官、弁護人に対し大声で怒鳴り、暴行を加えようとし、脅迫的言動を示したりしていることをもつて、狂信者に多くみられるように、自己の不安をさけるための妄想であつて、被告人がパラノイアであることを示すものであると弁論している。

右のほか、被告人は、第三二回及び第三三回公判において、拘置所の居房の壁が睡眠妨害等のために打たれることなどがしばしばあると訴えたり、結果的には自己に有利ともいうべき鑑定をなした石川鑑定人を非難したりするなど、一見偏倚な行動が見受けられないではない。

しかし、石川証言も、被告人をパラノイア的とはするものの、パラノイアであること自体は否定しており、石川鑑定も新井鑑定も、被告人をパラノイアとは判定していず、被告人の捜査官に対する供述調書から窺われる被告人の犯行時の言動には偏倚な点は見受けられないし、また前記のような被告人の主張は、その内容が認められるか否かは別として、主張自体に論理的矛盾や意味不明な点はなく、また、被告人の前記のような言動は、訴訟のそれぞれの段階においてみずからの立場を有利にするために一定の効果を期待して合目的的に行動しているものと推認できるのであり(この点は、たとえば被告人に対する法秩法違反事件の審判廷における被告人の発言及びその意見書でもその一端は窺える。)、右居房における騒音などの点は起訴後三年以上経過してからのことであり、第三四回公判(昭和四七年一二月一八日)以降はこのような訴えはなく、結局以上のような被告人の公判廷における言動等をもつて、被告人の精神状態が異常であるとすることはできない。

六  以上のとおり、被告人の幼少時から判示犯行時までにおける生活歴、職歴、判示犯行の前後ころの心身の状態、判示各犯行の動機・目的及び犯行状況、判示各犯行の前後の被告人の言動、被告人はいずれも犯行状況及びその前後の状況について詳細明確に記憶していてこれを捜査官に供述しており、右供述は客観的事実とも符合していること、被告人の知的な面の発達の程度、脳波に特段の異常のないこと並びに新井鑑定書及び新井証言、数次の少年鑑別所の鑑別結果によつて認められる被告人の精神状態をあわせ考えると、被告人は極めて孤独、内向的、自己中心的で社会的協調性に乏しく、気分易変で爆発しやすく、劣等感が強く、その反面自己顕示欲もかなり強いなど性格の偏りは認められるが、本件各犯行当時、是非善悪を弁識し、これに従つて行動する能力を有していたことは明らかであり、前記性格の偏りのために是非善悪の判断能力及びこれに従つて行動する能力が著しく減退していたとはとうてい認められない。

従つて、弁護人の前記心神喪失又は心神耗弱の主張は理由がないので採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示第一の所為は刑法二三五条に、判示第二及び第三の各所為はいずれも同法一九九条に、判示第四及び第五の各所為はいずれも同法二四〇条後段に、判示第六の所為は同法二四三条、二四〇条後段(二三八条)に、判示第七の所為中拳銃所持の点は、銃砲刀剣類所持等取締法三一条の二、一号、三条一項(刑法六条、一〇条により、昭和五二年法律第五七号による改正前のもの)に、実包所持の点は、火薬類取締法五九条二号、二一条(二条一項三号ロ)にそれぞれ該当するが、判示第七の拳銃所持及び実包所持は一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として重い拳銃所持の罪の刑で処断することとし、後記量刑の事情を考慮して、所定刑中、判示第二の罪につき有期懲役刑を、判示第三ないし第五の罪につきいずれも死刑を、判示第六の罪につき無期懲役刑を、判示第七の罪につき懲役刑をそれぞれ選択し、以上は同法四五条前段の併合罪であるところ、同法四六条一項、一〇条により犯情の最も重い判示第五の罪の刑で処断して他の刑を科さないこととし、被告人を死刑に処し、押収してあるジヤツクナイフ一丁(昭和四四年押第一四五七号の2)、米国貨幣九枚(同押号の75)はいずれも判示第一の罪の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるから、刑事訴訟法三四七条一項により被害者ジユリアン・カンラバン・タンボアンに還付し、押収してある白布袋一枚(同押号の38)、腕時計一個(同押号の37)、時計バンド二本(同押号の39)はいずれも判示第五の罪の賍物で被害者に還付すべき理由が明らかであるので、同法三四七条一項により、右白布袋一枚を所有者である〓山光機に、右腕時計一個及び右時計バンド二本については、被害者が死亡しているので、被害者伊藤正昭の相続人に還付し、訴訟費用については、同法一八一条一項但書によりこれを被告人に負担させないこととする。

(なお、解任前の弁護人木村壮は、死刑は残虐な刑罰であるから死刑を定める刑法一九九条、二四〇条の規定は憲法三六条に違反して無効であると主張するが、死刑を定めた刑法の規定が憲法三六条に違反しないことは、最高裁判所の判例とされているところであつて(最高裁判所昭和二二年(れ)第一一九号同二三年三月一二日大法廷判決刑集二巻三号一九一頁、最高裁判所昭和二四年(れ)第五六〇号同二四年八月一八日第一小法廷判決刑集三巻九号一四七八頁)、これと異なる判断をなすべき理由はないから、右主張は採用できない。)

(量刑の事情)

一  本件の判示第二ないし第五の各犯行は、その犯行結果が重大であり、判示第六の犯行も重大な結果を生ずるおそれがあつたこと、その犯行が多数回に及んでいること、犯行態様は残虐悪質であること、さほどの動機もなく他人を殺害したり、或いは金品強奪の目的等で他人を殺害し、或いは窃盗の際逮捕を免れるため他人を殺害しようとしたこと、東京、京都、函館、名古屋、東京というように、京都以東の東日本全域にわたる規模での犯行であること等の点において我が国犯罪史上稀にみる重大な事件というべきである。すなわち、

1  被告人は、何らの落度なく責めらるべき点のない四名もの善良な市民の、何ものにも替え難い貴重な生命を奪つたものであること。

東京プリンスホテル事件で殺害された中村公紀は、昭和三九年東京農業大学を卒業し、昭和四一年に綜合警備保障株式会社に入社し、以来本件被害に遭うまでガードマンとして真面目に勤務し、本件当時、春秋に富む二七歳の若さで、独身であり、遺族である母、兄、弟、妹の悲しみは大きい。

京都八坂神社事件で殺害された勝見留治郎は、三十数年間八坂神社に勤務し、本件被害に遭う三年くらい前から夜間の警備員として真面目に働き、一日、二、三合の酒を飲むことを楽しみに暮していたもので、本件当時六九歳であり、残された家族は妻と六人の子である。

函館事件で殺害された斉藤哲彦は、昭和三九年に結婚して帝産函館タクシー株式会社に勤務し、本件被害に遭うまでタクシー運転手として欠勤もせずにこつこつと真面目に働き、本件当時三一歳の若さであり、残された妻は三歳と生後六か月の二人の子を抱えて苦難の人生を余儀なくされたものである。

名古屋事件で殺害された伊藤正昭は、昭和四〇年に東海工業高校を卒業し、昭和四三年に八千代タクシー株式会社に入社し、本件被害に遭うまで、タクシー運転手として真面目に働き、本件当時まだ二二歳の若さで独身であり、遺族は、両親、兄三人、姉である。とくに被害者正昭の成長を楽しみに生きてきた母親の悲しみは深く、犯人に対する憎しみは強い。

以上四名はいずれも平凡な社会人として真面目に生きてきたもので、或いは春秋に富み、或いは今後安楽な余生を送りえた人たちであつて、被告人とは何のかかわりもない善良な市民であつたものであり、被告人の兇弾によつてその生命を奪われたこの四名の被害者及びその遺族らの無念さと憤りは想像に余りあるものがある。

さらに原宿事件では、被告人が警備員中谷利美に発射した二発の弾丸が同人に命中しなかつたことは全く偶然の結果にすぎず、同人の生命への危険性は極めて大きかつたものである。(なお、被告人は、この直後にも、さらに、自己を追つてくる警備員佐々木正男に発砲しようとしたことさえ窺われるのである。)

2  しかも、被告人の前記四名の殺害は、同一機会になされたものではなく、約一か月の間に四回にわたり次々と犯行が重ねられたものであり、その後に犯された原宿における強盗殺人未遂事件を含めれば、犯行は五回という多数回に及んでいること。

3  本件二件の殺人、二件の強盗殺人、一件の強盗殺人未遂の各犯行には、判示第二の殺人の犯行が偶発的であるものの、いずれも被告人に何ら憫諒すべき動機が存しないこと。すなわち、二件の殺人は被告人が自己の犯罪の発覚をおそれ逮捕を免れるだけの動機をもつて、いとも簡単に、所携の拳銃で警備員を射殺したものであり、次に、二件の強盗殺人のうち、函館でのそれは金品を奪うため、また、名古屋でのそれは自己の足どりが警察に判明して逮捕される結果となることを防ぎ、かつ金品を奪うため、何れもタクシー運転手を所携の拳銃で射殺したものであり、さらに、一件の強盗殺人未遂事件は、窃盗目的で事務所に侵入し金品を物色中警備員に発見され逮捕を免れるため、これを前同様所携の拳銃で射殺して逃走しようとしたものであつて、以上何れにも、ただそれだけの動機で他人の貴重な生命を奪おうとする被告人の人命蔑視の念が如実に現われている。

4  判示第二ないし第六の各犯行の手段、態様をみると、いずれも拳銃という最も危険な兇器を用いていること、しかも予め拳銃に実包を装填していていつでも弾丸を発射できるよう用意していたこと(この点では、判示第二の犯行も、偶発的に発生したとはいえ、このようにいつでも使用できる実包装填の拳銃を隠し持つていたことから犯行に至つたということができ、その悪質重大性において判示第三以下の犯行と大差はない。)、就中函館の強盗殺人事件では、予め強盗を決意し、これに使用するため、駅の便所内で拳銃に実包を装填し、タクシーに乗車後、犯行に適する人気のない場所まで運転手に自動車を運転走行させたうえで犯行に及ぶという計画的なものであること、また、名古屋の強盗殺人事件では、タクシーに乗車後犯意を生じたものとはいえ、前同様犯行に適する場所まで自動車を運転走行させたうえ、予め実包を装填していた拳銃を用いて犯行に及ぶという点で前者にまさるとも劣らぬ悪質な犯行であること、各犯行とも、被害者に対し危難を避ける機会を与えず、いきなり発砲したものであり、とりわけ函館・名古屋のそれは、何の危険も予知せず従つて無抵抗の被害者の背後から発砲して殺害したものであること、しかも、二件の殺人、二件の強盗殺人とも至近距離から被害者の頭部、顔面等を狙撃し、かつ数発の弾丸を射ち込んで、判示のような無残な銃創を与えて被害者を殺害するという極めて確実かつ残虐な殺害方法を用いていること、なお、判示第六の強盗殺人未遂事件においても前同様被害者に対し至近距離から数発狙撃したが命中しなかつたものであること。

5  被告人は、東京プリンスホテル事件及び京都八坂神社事件の二つの殺人事件後、次兄にその犯行を打ち明けた際、強く自首を勧められ、この段階で犯行を止めうる機会が与えられたにもかかわらず、「自首するなら死んだ方がましだ。」としてこれを拒否し、その後却つて、より重い函館・名古屋の二件の強盗殺人並びに原宿の強盗殺人未遂の各犯行に及んだこと。

6  本件判示第二ないし第五の一連の犯行は約一か月の間に、判示第二から第六の犯行は約半年の間に、それぞれ京都以東北海道に至る東日本各地において行なわれたもので、当時全国民に強い衝撃を与え、大きな不安と恐怖を生じさせたもので、本件各犯行の社会的影響は甚大であつたこと。

7  被告人には判示「被告人の経歴及び本件各犯行に至る経緯」に記載のとおりの非行歴が存し、家庭裁判所等により更生のための種々の保護措置が与えられたのにこれを拒否し、保護観察中に敢えて本件各犯行に及んだこと。

8  被告人には反省悔悟の情なく、その改善は至難であること。すなわち、被告人は、当初捜査官に対しては、「すまなかつた。」「申訳ないことをした。」旨述べたり、やがて後記のように自己の著作の印税を函館事件の被害者の遺族に贈るなどして、一時は改悛の情を示すような点も見受けられ、また、いわゆる静岡事件を自白したが、全般的にみると、被告人は、本件各犯行についてその原因を自己の責任ではなく、貧困と無知を生み出した社会や国家のせい、資本主義のせいであるとし、また、幼いころからの母親の愛情のなさ、兄たちの思いやりのなさを非難し、或いは保護観察中に保護司等が勤務先に訪ねてくるなどしたために転職せざるをえず更生できなかつたなどと述べて、他罰的、自己中心的な性格をあらわにしており、その法廷での態度をみると、弁護人、検察官、裁判官に対し、罵言を浴びせたり、脅迫的言辞を発したり、暴行を加えようとする態度を示すなどし、とくに、国選弁護人に対しては、辞任を強要しようとさえした。その他、法廷では、「情状はいらない。後悔しない。」と述べ、被告人が犯したといういわゆる静岡事件を起訴しなければ本件の審理に応じないとして審理を妨害したり、三回にわたり弁護人を解任したり辞任させるに至つたりした。このように、被告人は、一〇年に及ぶ長い拘束期間中に読書も重ねていて反省をする機会も十分あつたにかかわらず、自己の犯した重大な犯罪に対する改悟反省は認められず、自己中心的、他罰的、暴発的、非人間的なその性格は根深く固着化していて、証人石川義博の、被告人の改善は可能であるとの証言にもかかわらず、その改善は至難と思われる。

二  他面、被告人には、次のように、その素質及び生育歴において同情すべき事情があり、その他量刑にあたつて考慮の対象とすべき点も存する。すなわち、

1  被告人は、その人格形成上最も重要な時期たる幼少時から義務教育の時期にかけて、その父が賭博に耽り、家庭を顧みず、家出をし、その母は生活のため働いていて子供らの教育にまで手が廻らず、家族とりわけ母親から愛情の面で満たされず、その人格形成にとつてかなり環境の悪影響を受けたと思われること。とりわけ、その幼時期、母親が実家に戻る際置去りにされたようなまことに同情に値する事情がある。

2  被告人には素質的は負因が存することが窺われること。すなわち、被告人はその姉が精神分裂病に罹つており、親族にも精神的疾患に罹つた者がいて、被告人自身、分裂病質に属する精神病質者で、性格が偏倚であることが窺える。

3  本件各犯行は、いずれも被告人の少年時の犯行であること。

4  小、中学時代貧困等の理由で欠席日数も多く、協調性、社会性も未熟のまま、形式上の中学卒業の義務教育だけで、いわゆる集団就職で上京し、大都会に放り出された面があること。

5  前記のように、一時は改悛の情も見受けられたこと。この点は被告人の捜査官に対する供述調書の記載、その著書の内容等からもある程度窺える。

6  前記のように、函館事件の遺族に対し、著書の印税収入一五五万円を贈つていること。

7  未決勾留が概ね一〇年間の長期に及んでいること。

等である。

三  しかし、さらに飜つて考えてみると、

1  被告人の生育歴に同情すべき点はあるが、同じ条件下に育つた他の兄たちは概ね普通の市民生活を送つているし、何よりも被告人の本件各犯行は、被告人が上京後、職について一応社会生活を三年以上も送つたのちに行なわれたものであること、上京後は転職を繰返したが、常に就職の機会は与えられており、職なく食うに困つてやむなく犯した犯行ではないこと、上京後は兄も東京にいて全然相談相手がないという状態ではなかつたこと、前記のように試験観察、保護観察等の措置もとられていたのに自らこれを拒否して逃避し、或いは二件の殺人の後は兄の自首の勧めを断つて、敢えて自らの意思で、より重大な罪を犯してでも金で生きる旨決意し、判示第四ないし第六の兇悪な犯行に及んだものであることが窺われ、被告人の幼少時等の環境不良のみを過大視すべきではない。被告人が上京後自ら選択し形成した無反省な生活態度を無視することはできないのである。なお、被告人は母親の愛情のなさを責めるが、昭和四四年三月所持金が乏しくなるや、母親に対し、手紙で、交通事故を起こした旨詐つて一万円の送金を頼み、五〇〇〇円の送金を受けていることも窺われ、被告人の母親に対する非難には疑問が存する。

2  被告人の素質的負因も同情には値するが、前記のように刑事責任に影響を及ぼすような耗弱の程度にまでは到底至つていず、性格偏倚は存するが、その知能程度もかなり良いことが窺える。なお、被告人は前記のように、上京後転職を繰返してはいるが、協調性、社会性の不足がその原因と考えられ、被告人は就職しうる素質及び能力をもち、上京後三年余り就職して一応社会生活を送つていること、自衛隊にも一次試験には二回とも合格していること、明治大学付属の定時制高校にも入つて、クラスの委員長にも選ばれたこと、本件犯行後の被告人の手記や逮捕後のその著述から遡つて推測すると、本件各犯行当時もその能力が低かつたとは考えられない。

3  被告人は本件各犯行時少年ではあつたが、いわゆる年少少年ではなく、一九歳三か月余から一九歳九か月余のいわゆる年長少年であつたものである。

4  未決勾留が長期に及んではいるが、その主たる原因は、被告人がつくり出したものであるから、これをあまり重視できない。すなわち、被告人は、昭和四六年第一次論告が行なわれて以後弁護人を三次にわたつて解任し或いは辞任するに至らせ、また、静岡事件の起訴を求めこれが容れられるまで審理に応じないと主張するなど審理を遅延させる原因を自らが生じさせたものである。

四  以上の諸事情を総合して、量刑について考察する。

被告人の本件判示各犯行中、判示第二の殺人の罪については、前記のとおり、予め実包を装填しいつでも使用できる状態で拳銃を隠し持ち、ついにはその拳銃の所持や判示第一の窃盗の発覚を防ぐというだけの理由で犯行に及び、被害者に対し至近距離からその顔面等を狙撃し弾丸二発を命中させて殺害するに至つたもので、その刑責はまことに重大というべきであるが、その後の一連の、殺人・強盗殺人を犯すに至る最初の犯行であつて、予め拳銃を所持していたとはいえ、犯行に至つた経緯には偶発的な面を否定できないので、所定刑中有期懲役刑を選択することとする。

次に、判示第六の罪については、すでに判示第二ないし第五の各犯行に及んで四名を殺害しながら、さらに窃盗の際逮捕を免れるため拳銃を用いて警備員を殺害しようとしたもので、極めて悪質な犯行というべきであるが、幸いにも弾丸が命中せず未遂に終つて死傷の結果が発生しなかつたので、所定刑中無期懲役刑を選択することとする。

判示第三ないし第五の各罪については、前記のように、被告人にはその素質及び生育歴等において同情すべき点があり、また、一般的には、極刑は慎重のうえにも慎重を期してまことにやむをえない場合に限るべきもので、犯人が少年の場合はとくにその配慮が必要と考えるが、それにしても、本件判示第三ないし第五の犯行の場合、被告人は、前記のように、すでに判示第二の殺人を犯しながら、なおも殺人一件、強盗殺人二件の犯行を重ねて、何ものにも替え難い善良な市民の生命を、残虐な方法、態様で次々に奪い、その家族らを悲嘆の底に陥れたものであつて、まことに非人間的な所業というべきであり、しかも被告人に何ら改悛の情の認められない状況その他前示のような諸事情を総合してみるとき、被告人にとつて有利な一切の事情を参酌しても、なお、右判示第三ないし第五の各罪について死刑が相当であるとしてこれを選択せざるをえない。

従つて、当裁判所は、まことにやむをえず、被告人に対し、死刑を言渡すものである。

よつて、主文のとおり判決する。

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